留年生シロの憂鬱

某国立大理系留年生の日記です。留年生の実態を書き、また同志(留年生)たちと情報、感情を共有していきたいブログです

留年生活で得たもの②親への感謝(後)

四月の面談から約半年後。って前編では書いたけど5か月後。シロは再び成績面談に臨んでいた。

 

今回の面談は一般生徒の成績発表よりも前に行われため、ちょっとみんなよりも早く成績を知らされたことになる。

 

楽天家のシロも今回だけは深く落ち込み、あまり人には詳しく言ってなかったのだが、バカな後輩が酒の席で言いふらしやがったらしいので全部書くことにする。こいつにはいつも過去問やら授業の情報やらあげていたのに、ほんとに信じられない。この事をLINEで怒ったら無謝罪、逆ギレ、既読無視の三拍子を揃えてきたもんだからもう開いた口が塞がらない。

 

...結論から言うと、5コマ履修して、2コマ落とした。これは予想の範囲内ではあったが、後期も出席しなけばならなくなった。

 

当初聞いていた話だと、

5コマ取得→卒業要件満たす

4コマ取得→進級要件は満たすが1コマ残る

3コマ取得→進級要件は満たさないが実は上がれる。2コマ残る

 だったのだが、まさかの...

 

シロの甘さは二つあった。1つ、5コマしかないのに落としてもいいや位の考えでいたこと。2つ、要件を間違えていたこと。

 

一つ目。普通に単位を取ってきた人からしたらまず生じない甘すぎる考え。今まで落としてきたんだから保険くらいかけとけよ、と思われて当然だった。

 

二つ目。何が何単位足りないかの計算は死ぬほどしたし、実際間違っていなかったのだが、落とした2コマの内容が悪かったらしい。詳しく書くと長くなるのでそう書いておく。もっと厳密にシミュレーションをしておくべきだった。

 

本来、前期で単位を取り切って、後期は休学して学費を払ってもらわないようにするつもりだった。

 

しかし、卒業要件まで残り2コマ、進級要件まで1コマというところで来たのに、進級が確約されず、後期も大学に行かざるをえなくなってしまった...

 

今回ももちろん親に真っ先に電話した。父の第一声は今回は怒りだった。

 

そりゃそうだ。半期で単位を取り切るから安心してくれ、と言っていたのに、また27万という大金を払ってもらわんといけんくなったのだから...

 

シロはあまりの申し訳なさに涙が出た。人への申し訳なさでだけで涙が出るなんて知らなかった。

 

 

...シロの家はあまり経済的余裕が無かったようだ。親からの仕送りは家賃補助なしで2~3万と大学生としてはたしかに少なめだが、実家暮らしの時食べるものに困るとかいうレベルではなかったので実感が持てなかった。

 

しかし最近母から聞いた話だが、実際は両親はじいちゃんの残した借金だとか、家のローンだとかもろもろで老後の貯えもできてないそうだ。老後の貯えもなく、子どもに十分な仕送りもできない。

 

父は経済面で子どもに心配をかけたくないという親心からか、そういった詳細な経済事情を口にすることはなかったが、シロが思っていた以上に状況が厳しかったことがこの時の母の告白からようやく理解できた。

 

そんな状況で留年した子供に仕送りを続け、帰省した時は温かく迎えてくれる。その親に自分はまたしても負担をかけてしまった。ほんとにほんとに申し訳ない。正直今も半泣きで書いている。恩返ししたい。そんな感情が湧き上がってきた。

 

今までも漠然と親に感謝する気持ちはあったけど、この時ほど思ったことは無い。親に老後不自由させないだけの仕送りができる企業に勤めたい。そう思いながら最近は就活を始めた。

 

自分は学生としてはクズだった。これは間違いない。だらしない。こんだけ親への感謝を口にして、怠けるようなことをしたら人間としてもクズになってしまう。

 

留年を美談にしてないか?と思う方もおられるかもしれない。美談にするというよりは言い訳できる逃げ道をなくすために書いたというのが大きい。実際、こんだけ書いたんだから、しっかりやらないと、という気分になっている。

 

全ての留年生がそうかはわからないけど、おそらく留年生は常人以上に親への恩義を感じていることと思う。俺が言えることじゃないけど、皆さん親さんは大切にしましょう。

 

長文&拙文失礼しました。

 

留年生活で得たもの②親への感謝(前)

こんにちは、シロです。

 

今更ですが、パソコンで文字を打つスピードをあげるためにブログを始めたというのもあります。

 

僕ね、ブラインドタッチができないんですよね。右手だけね。利き手なのにね。

 

(右)おい左手よ。おまえどこでその技身につけたんだよ。教えてくれよ~

(左)...

 

 

...さて、今回は留年生活で得たもの②親への感謝、について。

 

皆さんご存じの通り、留年するとその分だけ学費が余分にかかり、親に負担をかけてしまします。国立大なのでその額半期で約27万。社会人にとっても決して安い額ではない...

 

書きやすいので例によってやっすい小説風に書きますね。

 

 

忘れもしない2018年4月...あれ日にち忘れた...四月頭のこと。前述の通り成績面談という名の留年通知大会が開催され、もっと前に留年が決定していたにも関わらず、その日ようやくシロは自身が留年したことを知った。

 

今思えば、この通知の遅さがかなり命取りになり、とんでもない事態になるのだがこれは後述する。

 

学生としてはかなりクズのシロも最初に誰に知らせるべきかわかるくらいの常識は持ち合わせていた。そう、学費を払ってくれいてる親だ。

 

シロは、留年した!!なんて言ったら怒鳴られる、下手したら殺される、と思っていた。

なんてたって、父はシロが高3の時地元が港町だったこともあり、「浪人したら船に乗ってもらう!!」と言っていた親である。結局浪人したけど船には乗らせられなかったけど。ホントだったのは、私立は絶対行かせん!!ということだった。実際、現浪の二年間の受験で一度も私立は受けてもない。

 

しかし、意外なことに電話で留年したことを伝えると父の第一声は怒りでも愚痴でもない、心配であった。

 

父はこういった。「大丈夫か?お前へこんでないか??」

 

少し安堵を覚えると共に、シロは感激した。うちの親はこんなにいい親だったのか...

 

 しかし、割とギリギリの留年で、半期のみで単位を回収できる見込みのあったシロは、留年すら楽観視し、人生の経験の一つ、くらいにしか考えていなかった。

 

シロは父の優しい問いかけに対しすぐさまこう答えた。「全然へこんでないよ」と。全くの本心であった。当たり前だが、すこしはへこめよ、と父にたしなめられた。

 

しかし、シロはその甘さ、厳しい言い方をすると学習能力の無さから半年後地獄を見ることになる。

 

 

 

 

 

 

留年生活で得たもの!!!!①

どうもこんにちはシロです。

 

twitterでたまにみる猫のツイートを見ると実家の猫ちゃんたちに会いたくなります。

 

 

 

 

...白猫じゃないですよ。黒猫でもなく。

 

 

え?誰も聞いてないって?

 

まあまあそう言わないで。なんか毎回白に関するネタでもぶっこまないと、という強迫観念にかられてます。前述の友人のブログがだいたい小ネタから入り、それが面白いので余計にそう思いますよね。

 

さて、今回は留年生活で得たものについて。

 

世間一般の人は留年の一年なんて空虚なもので、ただの無駄な時間だろ!!と思っているかもしれません。

 

あくまでシロ個人の意見ですが、得るものは大いにありました。

 

1r生活を経て得たもの(変わったこと)はいまのところ以下の4つ。

①どんなコミュニティでもやっていけるという自信

②親への感謝、100倍に

③ありとあらゆる偏見が自分の中から消えた

④将来について考え直す時間

 

得るものがあったからと言って親に迷惑をかけたわけですから、留年を完全に肯定するわけではないし、他人に留年を勧めるものでもありませんよ!!!

 

失うものも当然ありますしね。主に金ですけど!!これについては詳しく別の機会で書きます。

 

さて、今回は①に関して。

 

シロは一留に加え一浪もしているため、再履で一緒になる子たち、つまり、来年から研究室同期となる子たちとは最大2歳の年齢差が生じている。この年齢差は同年齢、同学年、同じ入学年度、はたまた社会人に関して言うと同じ入社年度を重んずる日本においては大きな差だ。

 

そして日本にいる皆さんは覚えがあるであろう。日本の社会が求める均一性。すなわち、人と違うことをする、常道から外れることを良しとしない風潮。留年も自己責任とはいえ、道を外れてしまったことに他ならない。

 

この二つが同時に襲いかかってくるだろうと、正直シロは留年生活一年間、誰とも教室でしゃべることなく、ひっそりと息をひそめていこう。そう思っていたのだ。

 

しかし、そんなシロに転機が訪れる。

 

時間ができてしまっていたのでふと参加するようになっていた、留学生と交流するサークル。理系のキャンパスということもあり、国際交流に興味のある学生はかなり少ないのだが、ここでたまたま同じコース、すなわちシロが再履を受けている授業にいる生徒k1君と会った。

 

え??こんなことある???

k1君が女子だったなら一瞬で恋に落ちているレベルである。

 

正直、本学理系学生、特に自分の所属する学科は自分の専門だけやる。興味ないけど就職めっちゃ強いからやる。という方々が多く、国際交流に興味がある、あっても実際にそういう場に行く人はかなり少なく、正直異端児扱いされている気すらする。

 

そんなある種異端児同士の我々はすぐ打ち解けたのであった。なお、もう一度言うが恋には落ちない。

 

そして、k1君の友人k2君とも仲良くなり、しまいにはテスト前k1君の自宅で勉強までした。

 

当初の心配は露のごとく消え、かなり幸運なパターンかもしれないが、新しい学年に割となじんでしまった。

 

そして、これに味をしめたのか、これも主に2つ下の子たちが行く2020卒向けの就活イベントでも彼らと話すうちにシロは思った。意外と馴染めてるんじゃね??

 

そしてこう思った。

正直、留年しても馴染めるんだったらどこ行ってもいけるんじゃね??

 

三回生になって、敬語が少なく、年齢を気にせずしゃべれる英語を使う機会が増えたのもあるとは思う。

 

だけど今こうして文にしても思う。k1君、k2君と仲良くなってなかったら、この謎の自信を得ることはなかった。

 

k1君k2君ほんとにありがとう!!これからもよろしく(^^)

 

感謝してるのに、k1k2と締まらない呼び方ですまん。ふたりとも苗字がカ行なもんだから...

 

 

なぜ留年生は二留三留するのか?

こんにちは、白山です。進路真っ白白山です(汗)

 

なぜ進路真っ白かと言うと、現時点では就活をしつつも院進学の可能性も捨ててはないからなのですが、これについてはまた後述しますね。

 

え、スベったからってマジメっぽいこと言ってフォローしようとすんなって???

 

 

いいじゃないですか、せっかく白っていう字が名前に入ってるんだから。

 

 

 

...ペンネームですけどね(笑)

 

 

それはさえおき、今回はなぜ留年生は二留三留するのかについて留年してから気づいたことをもとに書いていきたいと思います。

 

二留三留する人なんているのかって思った方!!!

 

結構おられます。授業で出席を書く紙が回ってくるのですがそこには学籍番号と氏名が記されており、明らかに2つ3つ上の学籍番号の方がおられます。(他大学は分からないけど当大学は学籍番号から入学年度が分かる)

 

あと、サークルの後輩から聞いただけで、確かなソースはないのですが一留した人が二留する確率は50%らしいです。

 

そして、50%といわれて納得してしまったので納得したのはなぜなのか書いていきます。

 

まず、留年生の分類について。健康面、経済面で留年された方については今回除外して考えますね、

 

主に以下の3通りがあると僕は考えています。

①遊びすぎて留年

②友達がいなさ過ぎて留年

③怠け者すぎて留年

 

結論から先に言うと、

二留三留(打つのめんどくさいので以下2r3r)することの原因は②!!!トモダチダイジ!!!!

 

1rする原因は①~③とあっても、2r3rする原因は②のだけだと留年生活をして思いました。

 

ちなみに現在1r中のシロは③で留年しました。過去問解いてくれるし、なんだかんだ心配してくれる友人たちはいたし、遊んだわけでもない。

 

ある意味一番達タチがわるいですね...今こうやってブログにしてみて改めて思いました

 

では話を戻しましょう。なぜトモダチダイジなのか。

それは一部の天才たちを除き、単位は団体戦!!!だからです。

 

大学の専門は高校の時みたいに詳しく解法が乗っている参考書があるわけでもなく、ましてや内容の抽象度、難易度は高校の時のそれの100倍くらいはある。

 

また、高校の時はなかった出席点。授業のたびに配られるレジュメ。教授が何気なくつぶやくテスト範囲。授業に出席できなかった時の損失はかなり大きい。

 

友達が多いほど過去問が手に入る確率も高くなる。

 

お互いの分からないところを教えあい、どうしても出席できなかった時の損失の穴埋めをしあう。はたまた情報も共有できる。友人の存在はこんなにも大きい。

だから単位は団体戦なのです。

 

留年すると気軽に話せる人、一緒につるめる人がいなくなりますよね。最初の方は頑張って出ていても、1,2回欠席すると、レポート範囲が分からずに提出できなかったとか、出席点を取り損ねた、となってしまい、その時点で単位をあきらめ以後行かなくなってしまう。

 

あきらめずに行き続けてもテスト勉強は一人で難問に挑まねばならない。範囲も分からない。過去問も下手したら持ってない。

 

そして落単。再々履。もう一年。

 

この負のループから抜け出すには相当難しいことは皆さんも想像つくでしょう。

 

シロはいろいろあって一つ下の学年の子何人かと仲良くなった(笑)そして早々にこの負のループから抜け出すことに成功できた。そして留年して再履先でも仲良くなれるんだからどのコミュニティに属してもやっていけるという自信まで得ることがてきた。

 

なにも、単位の為に打算的にでも友達を作れというわけではないけど、友達が一番大事だよね、ってお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

今更自己紹介

順番前後します、二回目の投稿ですが自己紹介します。

 

 

はじめまして!!!!シロです!!

 

留年決まってから半年以上が経過していますが未だに学年をどう名乗るか迷っています汗汗 2020卒として就活をしているので最近は3回生と名乗っていますが(笑)

 

それはさておき留年してるやつが何でブログなんてものを始めたか。

 

 

 

...どうせ暇だからに決まってんだろー!!!

 

と思われた方も多いでしょう。

 

 

うるせー!!!余計なお世話だよ!!!

 

嘘です。ブログを見てくださるお客様は神様です。そんなことは天地がひっくり返っても言いません。

 

実際は、

①文章を書く練習がしたかった

②留年した理由などをもう一度考え直したかった

③大学の親友二人がブログをやっていて興味を持ったから

④世間一般の人に留年生がどういう生活をしているか、何を考えているかを見てほしい

⑤留年生、留年予備軍の人と感情を共有したい、できれば情報交換も!!

 

多いけど主にこの5つですね。

①②は就活するうえで役に立つことでもありますからね。(意外とマジメでしょ)

 

③については割と読者も多いし読んでいて面白いブログなので後々紹介するかもしれません。

 

先に⑤について。コメント等お待ちしております。以上。

 

 

④に関して。これがメインです。

世間一般的にはクズだと思われている留年生。実際学内を歩いていても元同級生のよっ友軍団などからは心なしか冷たい視線で見られているのを感じます。

 

実際、授業に出なかったり、課題を出さないなどこれまでの自分はクズのような生活をしていて、結果親にも迷惑をかけてしまっている。

 

ただ、留年したからこそ見えたことも多い!!

ほかの同志(留年生)たちは分からないが少なくともシロはそうだ。

 

そんな留年を幸か不幸か(どう考えても自業自得だが)経験したシロだからこそわかることを世間に向けて発信できたらと思う。

 

 

...語尾が定まらなくてすみません。ではまた次回!!!

 

 

 

プロローグ~留年生シロの誕生~

昔から僕は人生なんとかなる、、で通してきた過去があったし、実際少々の誤差はあれどなんとかなってきた。

 

なんとかなると思い臨んだ今年四月頭の成績面談。ある程度の成績を取っており、この面談で教授に四回生の一年間で残りの単位を回収できる見込みを示せば進級させてくれると聞いていた。そう、ソースも確かめないまま聞いた情報を信じこんでしまっていた。今回もなんとかなる、と信じて。

 

 

指定された部屋に入ると、ホワイトボードに驚愕の文言が記してあった。

「留年生のみなさんへ」

 

 

 

...ん!?????????話がちげーぞおおおお!!!!

シロは困惑した。いや話が違うぞと。この面談で進級かどうかが決まるんじゃ??俺はまだ留年って決まってないはずじゃ??

 

と思いつつも、何を思ったか、このときのホワイトボードの写真を記念にパシャリした僕はどこがまだ他人事のように感じていた。

 

 

かくしてあまり実感は湧かないものの留年生シロが誕生したのであった。