留年生シロの憂鬱

某国立大理系留年生の日記です。留年生の実態を書き、また同志(留年生)たちと情報、感情を共有していきたいブログです

留年生活で得たもの②親への感謝(前)

こんにちは、シロです。

 

今更ですが、パソコンで文字を打つスピードをあげるためにブログを始めたというのもあります。

 

僕ね、ブラインドタッチができないんですよね。右手だけね。利き手なのにね。

 

(右)おい左手よ。おまえどこでその技身につけたんだよ。教えてくれよ~

(左)...

 

 

...さて、今回は留年生活で得たもの②親への感謝、について。

 

皆さんご存じの通り、留年するとその分だけ学費が余分にかかり、親に負担をかけてしまします。国立大なのでその額半期で約27万。社会人にとっても決して安い額ではない...

 

書きやすいので例によってやっすい小説風に書きますね。

 

 

忘れもしない2018年4月...あれ日にち忘れた...四月頭のこと。前述の通り成績面談という名の留年通知大会が開催され、もっと前に留年が決定していたにも関わらず、その日ようやくシロは自身が留年したことを知った。

 

今思えば、この通知の遅さがかなり命取りになり、とんでもない事態になるのだがこれは後述する。

 

学生としてはかなりクズのシロも最初に誰に知らせるべきかわかるくらいの常識は持ち合わせていた。そう、学費を払ってくれいてる親だ。

 

シロは、留年した!!なんて言ったら怒鳴られる、下手したら殺される、と思っていた。

なんてたって、父はシロが高3の時地元が港町だったこともあり、「浪人したら船に乗ってもらう!!」と言っていた親である。結局浪人したけど船には乗らせられなかったけど。ホントだったのは、私立は絶対行かせん!!ということだった。実際、現浪の二年間の受験で一度も私立は受けてもない。

 

しかし、意外なことに電話で留年したことを伝えると父の第一声は怒りでも愚痴でもない、心配であった。

 

父はこういった。「大丈夫か?お前へこんでないか??」

 

少し安堵を覚えると共に、シロは感激した。うちの親はこんなにいい親だったのか...

 

 しかし、割とギリギリの留年で、半期のみで単位を回収できる見込みのあったシロは、留年すら楽観視し、人生の経験の一つ、くらいにしか考えていなかった。

 

シロは父の優しい問いかけに対しすぐさまこう答えた。「全然へこんでないよ」と。全くの本心であった。当たり前だが、すこしはへこめよ、と父にたしなめられた。

 

しかし、シロはその甘さ、厳しい言い方をすると学習能力の無さから半年後地獄を見ることになる。